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1455年(康正元年春三月二十三日)、岩城城主岩城忠次郎貞隆が両親の菩提を弔うため、下荒川龍門寺の第四世桃巌寿見代和尚に勧請し、開山創建した寺が性源寺です。
龍門寺四老の寺と尊称され、かつては山門、中門、総門などからなる伽藍は、壮観なものでありました。
末寺七カ寺をもち、徳川三代将軍家光以来、歴代将軍より寺領十石を拝領する御朱印寺で、当時の末寺は、松堂院、大林寺、長徳寺、西福寺、宝光寺、大慶院、頊泉寺です。寺号は、当寺の開基の岩城公の法名を一源心公大禅定門といい、内室の法名を心海性公大禅定尼であったことから各一字をとり性源寺とし、山号は地名が小嶋村であったことから小嶋山としました。
隣にある尼子神社は、江戸時代までは性源寺の隠居寺大慶寺で、戊辰戦争後の廃仏稀釈運動のなか、尼子神社として改宗存続しました。
現在の山門は、平城の裏門であったものを戊辰の役後に檀家総代である山崎家から寄贈をうけ、移築したものです。
1870年(明治三年二月十八日)、良善寺の火災の飛び火のために本堂を焼失。現在の本堂は第三十九世則成大和尚のときに建設計画され、昭和七年に完成したものです。
また客殿庫裏は、1992年(平成三年)改築。さらに、2009年(平成二十一年)、社寺工舎により屋根修復工事および永代供養納骨堂の建設を行いました。 現住職は四十二世則芳和尚です。